日本コミュニケーション学会九州支部
第11回大会
プログラム

The Communication Association of Japan
Kyushu Chapter
11th Convention


大会テーマ:「異文化交流とコミュニケーション」




2004年10月10日(日)
October 10(Sun), 2004



沖縄キリスト教学院大学

〒903-0207 沖縄県中頭郡西原町字翁長777
電話:098-946-1231(代表)
Fax:098-946-1241

Okinawa Christian University
777 Onaga, Nishihara-cho
Nakagami-gun, Okinawa 903-0207
Phone:098-946-1231
Fax:098-946-1241





大会案内
 
1. 参加者は参加費2000円を当日、受付にて納入してください。
2. 九州支部会員の方は支部総会に必ずご出席ください。
3. 昼食は休日のため大学内の食堂が閉まっておりますので、弁当(1000円)を予約するか、昼食をご持参ください。大学周辺にはレストラン等は全くありません。これはジョークではありません。
 
 
4. 懇親会費は5000円です。予約の必要がありますので、参加される方は事務局にお申し込みの上、当日受付にて会費を納入してください。申し込みを10月5日以降にキャンセルされた場合は会費の全額を申し受けます。
 
 
5. 大会会場は、南棟の3階および2階です。
6. コーヒー、お茶、その他の飲み物は、ご自由にお取りください。
7. 図書の展示販売を行います。お気軽にご利用ください。
8. お車でのお越しの方は学内駐車場をご利用ください。
9. 問合せ又は参加申し込み
日本コミュニケーション学会九州支部事務局
   長崎市三ツ山町235 長崎純心大学 畠山 均
   Phone: 095-846-0084
   Fax: 095-849-1894
   e-mail: hatakeyama@n-junshin.ac.jp

又は大会実行委員長 沖縄キリスト教学院大学 伊佐雅子
   Phone/Fax: 098-946-1252(研究室)
   e-mail: isa@ocjc.ac.jp
 
発表者の皆さまへ
 本大会では研究発表会場にタイムキーパーとして学生が一人配置されていますが、司会者はおりません。ご自分の発表時間になりましたら発表をはじめてください。OHPなどの機器は会場に用意してありますが、準備や操作はご自分でお願い致します。ハンドアウトを準備する場合は30部程度用意いただき、発表前に配布ください。また、発表終了時間は厳守ください。ご協力をお願い致します。
 
その他の参加者の皆さまへ
大会参加申込書こちらからどうぞ。
(発表されない方でも当日出席される方は事前登録をお願いします。)




※演題をクリックすると特別講演、研究発表、及びパネルディスカッションの要旨を見る事ができます。

08:20〜 受付
09:30〜09:50 開会式(南3-5教室)  司会: 伊佐 雅子(沖縄キリスト教学院大学)

  支部長挨拶: 佐藤 勇治(CAJ九州支部長 熊本学園大学)
  会場校挨拶: 神山 繁實(沖縄キリスト教学院大学学長)
  来賓祝辞  : 北出 亮 (CAJ副会長 拓殖大学)
  


研究発表

10:00〜12:30 A会場(南3-5教室)
 10:00〜10:30 他者性から学ぶ、「死」と「共同体」の考察 平野 順也
(デュケイン大学大学院生)
 10:30〜11:00 A Cross-Cultural Study of the Ability to Decode Japanese and Caucasian Facial Expressions into Emotional Categories in Taiwan and Japan 周 芹恵
(九州大学
大学院生)
 11:00〜11:30 足の伝える意味:
日米比較の視点から
兼本 円
(琉球大学)
 11:30〜12:00 『冬のソナタ』が奏でる人生讃歌
−個と伝統が紡ぐ言語コミュニケーション
宮下 和子
(鹿屋体育大学)
12:00〜12:30 統治のディスコース
−戦後沖縄の高等弁務官によるスピーチのメタファー分析
宮平 勝行
(琉球大学)


10:00〜12:30 B会場(南2−1教室)
 10:00〜10:30 英語運用能力の推移からとらえる語学学習の動機づけ
−海外研修を経験した大学生の意識から
川内 規会
(青森県立保健大学)
 10:30〜11:00 教職科目「社会・公民科指導法」にみられるディベート授業の影響
−批判思考能力の効果測定の試み−
鎌田 裕文
(九州大学)
 11:00〜11:30 Investigating Communicative Activities in Feedback Discourse Written by College Students 筒井 久美子
(熊本学園大学)
 11:30〜12:00 高等学校におけるスペイン語学習者のビリーフスと言語学習ストラテジー
−英語学習とスペイン語学習の比較の観点から
玉城 真奈美
(琉球大学
大学院生)
 12:00〜12:30 出会い系メディアの変遷とコミュニケーション 圓田 浩二
(沖縄大学)


12:30〜13:20 昼休み(昼食は弁当を予約するか、ご持参ください)


13:20〜14:50 パネルディスカッション(南3-5教室)

 「コミュニケーションと国際交流」
 パネリスト: 柿田 秀樹(獨協大学)
         板場 良久(獨協大学)
         藤巻 光浩(文教大学)
    司会: 畠山均(長崎純心大学)


14:50〜15:20 支部総会(南3-5教室) (九州支部会員は必ずご出席下さい。)


15:40〜17:20 特別講演 (南3-5教室)

「琉球王国におけるコミュニケーション
−首里語・辞令書・通事の辞令から」

   講演者: 高良 倉吉(琉球大学教授)
     司会: 宮平 勝行(琉球大学)


17:20〜17:30 閉会式 (南3-5教室)

  挨拶: CAJ九州副支部長 畠山 均 (長崎純心大学)


18:00〜20:00 懇親会 かねひで都パレス   司会: 兼本 円(琉球大学)


大会参加申込書こちらからどうぞ。
(発表されない方でも当日出席される方は事前登録をお願いします。)




発表要旨集


特別講演


「琉球王国におけるコミュニケーション
−首里語・辞令書・通事の辞令からー」
高良 倉吉(琉球大学教授)
内容: 沖縄の歴史や文化

講演者の略歴はこちらからどうぞ。



研究発表要旨
研究発表 A会場


他者性から学ぶ、「死」と「共同体」の考察
平野 順也
(デュケイン大学大学院生)
 今日に至るまで、数々の思想家達(二元論者、唯物論者、様々な宗教信仰者)は色々な形で「死」の説明してきた。それらはハイデッガーがしたように、「死」を一個人が経験しなくてはならない、あくまで私的な出来事と説明した。しかし、レビナスやデリダが主張するように、人々が経験出来る死とは「自己の死」ではなく、「他者の死」である。今回の研究では「死」を他者性から考察し、そこから起こる他者との関係において、「死」にコミュニケーション学からの意味を見出そうとする。そのため「死」を他者との「共同体」に結びつけ、「無」や「殲滅」といった姿で語られていた「死」を「私」の領域を超えた、「共同体」のナラティブ内の重要な一要素として説明していく。
 

A Cross-Cultural Study of the Ability to Decode Japanese and Caucasian Facial Expressions into Emotional Categories in Taiwan and Japan
周 芹恵
(九州大学
大学院生)
 Many researchers discussed the question whether facial expression is a culture-specific or a culture-common phenomenon. A number of cross-cultural studies have been carried out in order to answer such a question, but few studies have been carried out in Taiwan and Japan. Using the subjects from Taiwan and Japan, we can investigate how Asian people decode each other’s facial expressions. By using Ekman and Matsumoto’s pictures of Caucasian and Japanese, the author tries to find whether Asian people can decode each other’s facial expressions better than Caucasian facial expressions.
 The purpose of this study is to investigate following research questions: (1) Is there a cultural difference in decoding facial expressions between Chinese students (in Taiwan) and Japanese students? (2) Is there a gender difference in Chinese and Japanese students in decoding facial expressions? (3) Is there a difference in Chinese and Japanese students’ ability in decoding facial expressions of Caucasian and Japanese?
 

足の伝える意味:日米比較の視点から
兼本 円
(琉球大学)
 非言語コミュニケーションの研究の代表格は表情と腕であるため、その他の表現部位の研究はあまりなされていない。本研究発表では、アメリカ人の「足」に焦点を当てて、その文化的意味を発表者の撮影したデジタル写真、及び、米国映画のシーンを例にとり検討して行く。さらに、アメリカ人がコミュニケーション中に時折見せる「足」が何を伝えるのか、さらに、それが日本人にどう解釈されがちなのかを明らかにする。
 

『冬のソナタ』が奏でる人生讃歌
−個と伝統が紡ぐ言語コミュニケーション
宮下 和子
(鹿屋体育大学)
 ユン・ソクホ監督は「自分のドラマ作りのコンセプトは、世の中は生きていく価値があり、愛する価値があり、人生は美しい、ということ」と言う。当初は高校生の初恋というモチーフが昔の少女漫画と重なったが、次第に韓国の美しい自然やソウル市街の活気、叙情的なピアノ旋律が縁どる登場人物の直な言葉のやりとりが心を捉えた。強い友情と家族への思いやり、年長者への尊敬語や態度など、個と個の対峙に息づく韓国の文化と伝統。偶然性に事故、記憶喪失など不自然な物語が人物で肉づけされる過程は正に「人生讃歌」である。本稿では、『冬ソナ』を日韓の異文化交流という視点で考察する。
 

統治のディスコース
−戦後沖縄の高等弁務官によるスピーチのメタファー分析
宮平 勝行
(琉球大学)
 戦後27年間、沖縄は米国の施政権下におかれた。当時「沖縄の帝王」として知られた高等弁務官のスピーチを分析し、一貫して用いられる概念メタファーを紹介する。「平和は闘争である」「無責任な人は未熟である」「無責任さは道徳的弱さである」「自立とは道徳的強さである」などの概念メタファーに見られる統治のディスコースを批判的に比較検証する。
 
研究発表 B会場

英語運用能力の推移からとらえる語学学習の動機づけ
−海外研修を経験した大学生の意識から
川内 規会
(青森県立保健大学)
 国際交流が盛んになりグローバルな視点が問われるようになって以来、授業の一環として海外研修を設けている大学の数は多い。また、日本の多くの大学では、英語の学習が必修として置かれており、大学生にとって英語の学習は必然的なもののように捉えられている傾向がある。しかし、これらの大学生は、語学学習に対してどのような動機づけを得ているのだろうか。
 本研究は、大学生にとって海外研修が語学学習の強い動機づけとして存在しているかどうか、また、海外研修によって英語運用能力に変化があらわれたと認識しているかどうかを調査した。海外研修を経験した大学生のアンケート調査とヒアリング調査の結果から語学学習に対する学生の意識を再考するものである。
 

教職科目「社会・公民科指導法」にみられるディベート授業の影響
−批判思考能力の効果測定の試み−
鎌田 裕文
(九州大学
非常勤講師)
 本発表は米国における教育研究等を参考に「思考力」の育成に教育ディベートの手法を取り入れた大学の授業がどの程度貢献できるのかについての調査報告を目的としている。これまで著者が実施してきたアンケート回答をみると、同授業で受講者が最も学べたと思った最上位項目が「批判的・論理的思考力」であった。本調査研究ではこの「批判的・論理的思考力」が実際に教育効果として育成されているのかの検証を試みている。効果測定の方法としては、米国で最も頻繁に用いられているワトソン・グレーザーの批判思考テスト(Watson & Glaser, 1980)等を参考に著者が作成した「論理思考テスト」(Kamada, 2000, p.4-5)を用いている。
 

Investigating Communicative Activities in Feedback Discourse Written by College Students
筒井 久美子
(熊本学園大学)
 Discourse analysis of written texts has been adopted in several academic disciplines, including rhetoric, linguistics and education. Most of these studies use formal texts obtained from news articles, public opinions, and essays. In contrast, this paper examines feedback cards written by university students, which are rather recorded carelessly without paying attention to structure and organization, to demonstrate their communicative activities. Students’ feedback was collected on opinion cards at the end of every class for a year in a large lecture class. A randomly selected set of two-hundred-thirty-nine cards based on one class unit revealed similarities in students’ ways of expressing their opinions and their selected topics. Also, cards were used not only to ask questions or request something but also for self-reflection and analysis. The small number of uncritical opinions may demonstrate impression management and a tendency towards saving face, both of the students and the instructor. What was not found in the data was much use of pictographs (emoji), words conversed among youths (wakamonokotoba) and impolite forms, which indicate that students are aware of the reader.
 Feedback cards can be influenced by several factors, such as limited time, types of topic, or even what others sitting next to each other are writing. Yet, considering the fact that the card is almost the only way of telling something specific to the instructor, it should be highly regarded as a critical part of students’ communicative activity. This paper further discusses other ways to examine these cards in light of cognitive activity, linguistic fragments or grammatical errors and the use of katakana for specific words, as well as their capabilities of self-expression in writing, depending on researchers’ interest and expertise.
 

高等学校におけるスペイン語学習者のビリーフスと言語学習ストラテジー
−英語学習とスペイン語学習の比較の観点から
玉城 真奈美
(琉球大学
大学院生)
 本研究は、高等学校におけるスペイン語学習者のビリーフスと学習ストラテジーに関して、英語学習とスペイン語学習の比較の観点から、調査・分析を行ったものである。沖縄県内でスペイン語を履修する高校生219名に対し、BALLIを使った英語学習とスペイン語学習に対するビリーフスと、SILLを用いた学習ストラテジー調査を行った。また、両言語学習の相互作用を別の質問紙を用いて調査し、統計的に比較分析することにより、スペイン語学習者の“学習者像”をとらえることができた。この成果は、今後のスペイン語教育における教授法や指導法の確立、さらには教材開発に活かされるものである。
 

出会い系メディアの変遷とコミュニケーション
圓田 浩二
(沖縄大学)
 今日、出会い系メディアは「援助交際」を始め、さまざまな社会問題を引き起こしている。出会い系メディアとは、不特定の人間とのコミュニケーションを仲介するメディアを言う。本発表では、非難されがちな出会い系メディアのコミュニケーションを取り上げる。その歴史と変遷に言及しつつ、出会い系メディアのコミュニケーションの特性と可能性について考察する。発表の要点は、@出会い系のコミュニケーションは、パーソナル・コミュニケーションともマス・コミュニケーションとも異なる、A出会い系メディアは、その歴史において、個々の媒体が異なるコミュニケーション特性を持っていた、B今後、出会い系のコミュニケーションはさまざまな問題を提起しながらも、社会において広がり、利用者を増やしていくことが予測できる、の3点である。




パネルディスカッション

「コミュニケーションと国際交流」
パネリスト:
柿田 秀樹(獨協大学): 主体創出のコミュニケーション空間?イソクラテス「民族祭典演説」
板場 良久(獨協大学): 国民文化論と異文化交流に関する一考察
藤巻 光浩(文教大学): リドレスのアメリカ化:
アルメニア人虐殺の補償問題に寄せて
司会: 畠山 均(長崎純心大学)
 
 文化の交流は優れて異文化の差異を顕在化させる。交流によって線引きされる文化の輪郭が差異によって浮かび上がってくるのである。異文化が交流するその交差点に差異が認められるならば、そもそも文化とは何であろうか。差異の認識のない、「文化」とはそもそも存在するのであろうか?このパネルは異文化の差異を交流という視点から俯瞰することで、差異を実在化させる実践を分析していく。交流という実践がもたらす文化の差異は、コミュニケーションを媒体(メディア)として考慮に入れることで始めて分析が可能になると思われる。媒体としてのコミュニケーションは、とりわけ国際交流において重要な位置を占めている。国際交流に参加する人びとの主体が、どのようにその場で形成されるかが問われるためである。例えば、国際交流における記憶とリドレス(補償)の問題は切っても切り離せない。先に行われたサッカー・アジアカップにおける、中国人観衆による日本代表チーム・サポーターへのブーイングは、リドレスが充分に行われてこなかったという中国人観衆の歴史認識に基くものであったし、また日中戦争に於ける記憶が未だ癒えることのないものとして認識されていたことからも起こった。そのために、国際交流を目的とするスポーツ・イヴェントに於いて、その本来の目的は達成されることがなかった。すなわち、主体形成にコミュニケーションが重要な役割を果たしていることは明白であろう。過去をどのように思い出すかによって主体形成が左右されるため、文化の差異が、このアジアカップという国際交流により顕在化したのである。したがって、このパネルでは、コミュニケーション研究が異文化交流に貢献する批評的価値を探求していくことを目的としよう。

 柿田は主体としての「ギリシア」が民族祭典の儀式で創出される過程を、古代ギリシアの弁論家・イソクラテスの演説「民族祭典演説(panegyricus)」に見出す。ギリシア諸民族の文化交流の場であった民族祭典は諸都市国家のコミュニケーション空間であった。しかし、民族祭典のコミュニケーション空間は諸都市国家が自己同一性や本質を確認する為の空間ではなく、むしろ各都市国家の自己同一性が差異として湧出する場であった。したがって、「民族祭典演説」の綿密なテクスト分析は主体が創出される可能性の条件を描きだす。イソクラテスが描き出すギリシアの主体が画一的な文化的本質として差異を越えてすでに共有されているのではない。むしろ共有されるべき本質に決定的な亀裂があることが、「ギリシア」という民族を越えた表象の存在を出現させ、その主体が実体化するのである。この綿密なテクスト分析は当時の異文化交流の状況が異類混交であり、その多様性を可能とする条件としての主体創出をイソクラテスのテクストに見出すこととなる。

 次に、板場の主張は「異文化交流」という概念そのものに疑問を呈し、その概念に批判的検証を施す。日本国際青年文化協会会長の中條高徳氏へのインタビュー記事である「敗戦の挫折を人生の原点に」(『中外日報』2004年2月21日)を中心に、そのテクスト分析を試みる。テクスト分析は、「異文化交流」こそが日本国家及び国民の領域を強化する役割を果たすことを例証し、この概念が現在問題となっている「国民文化論」を助長するイデオロギー的スローガンとして機能する可能性を指摘するであろう。しかしそれと同時に、「異文化交流」という概念が国家および国民の戦争・戦後責任に関する認識を促進させるエイジェンシーとなる可能性についても示唆できるであろう。

 最後に、藤巻は、アメリカにおける近年のリドレス(補償)のあり方を、アルメニア人虐殺のアメリカ社会に於ける進展を参照しつつ分析する。トルコ対アルメニアという構図の中で、行われてきた補償問題が、アメリカという場所で行われることで進展を見た。その進展は、われわれをアメリカ社会の果たす役割に注目させる一方で、リドレスの「アメリカ化」について論じる必要性を生じさせる。アルメニア人の補償問題は、多文化社会を自負するアメリカの、「他民族」間交流の行方を占う重要なケーススダディーである。

 パネリスト3人は越境する異文化の交流をそれぞれのケースから分析を加えていく。われわれはそもそも文化の差異が交流以前に存在していた与件と考えるわけにはいかないのである。なぜならば、それまで明確だと思われていた国家の領域が一瞬にして崩れていったことが既に忘却されたわけではあるまい。われわれはベルリンの壁が崩れ、東欧諸国の領域が越境されていく歴史を目撃した証人であったはずである。文化の流動性は差異を生成する交流の視点から見るならば、決して不思議なものではない。むしろ、これらの歴史的現象は交流という越境のパワーによるコミュニケーションの視座から説明がされるべきであろう。