2004. 11

NEWSLETTER         No.18  November 2004


日本コミュニケーション学会九州支部        CAJ九州支部

KYUSHU CHAPTER                   支部長:高瀬 文広
of The Communication Association of Japan  (福岡市立福岡女子高等学校)

                                 事務局:
                                 〒819-0013
                                 福岡市西区愛宕浜3丁目2-2
                                 TEL:092-881-7344
                                 FAX:092-883-4227
                                 E-mail: office@caj-kyushu.com

                              



新支部長挨拶

第11回支部大会を迎えるにあたり

高瀬 文広 (福岡市立福岡女子高等学校)

 2004年10月の沖縄での支部大会で正式に九州支部長を拝命しました。就任後初めてのニュースレターですので、一言ご挨拶申し上げます。まず、初代支部長として九州支部の基礎作りに多大なる貢献をされました畠山 均先生、そして二代目支部長の佐藤 勇治に感謝申し上げます。九州支部は2004年で11年目を迎えましたが、九州支部がここまで成長できたのはお二人のご尽力の賜物であります。10年という一区切りから次の10年という節目の時期でもありますので、私は三代目の支部長として重責を感じております。両氏に負けないように精一杯頑張っていきますので、支部会員の皆様のご協力も宜しくお願い申し上げます。

 今回の支部大会では佐藤前支部長が冒頭の挨拶で「新しい視点と展望」という事を話されました。私は新しい視点ということで次のような三つの点を主眼に支部運営を行っていきたいと考えております。

 第一点は「会員の獲得」です。まだ九州支部の会員数は50名弱です。会員を増やすためにもCAJの九州支部会員に是非ともなりたいと感じさせるような活動を企画していきます。会員相互の交流や情報交換を積極的に行い、大学院生等の若い会員の獲得を目指したいと思います。

 第二点は「支部資金源の確保」です。現在は大会参加費や本部事務局からの支部助成金等でやっと支部運営を行っている状況です。今後は支部からテキストや問題集等の書籍、企業とのタイアップによるソフトの開発等によって資金を増やして会員の皆様へ還元していきたいと考えております。特に、研究業績ともなる著書の出版については、支部会員から執筆者を募り、その道に秀でた方を編集長にして積極的に行っていきます。

 最後は「CAJ九州支部のPR」です。当会の存在を示すために積極的に新聞、テレビ、雑誌等のメディアにコミュニケーションに関して広報活動を行っていきます。その為の一環として『コミュニケーション・フェスティバル』というような企画を大々的に開催したり、他の学会とのジョイント大会を開きたいと思います。この様な企画を通して、コミュニケーションを直接専門としていない研究者や中学、高校の先生方や大学院生達を当学会に引き寄せたいと考えております。

 私の新支部長挨拶では私の夢を語らせて頂きました。でも、これを夢に終わらせず、実現できるように精一杯努力していきたいと思います。CAJ九州支部の発展を夢に終わらせないように「男のロマン」として大切にしていきたいと存じます。この言葉を新支部長挨拶のキーワードとして高瀬の挨拶を終えます。会員の皆様、CAJ九州支部の発展のためにご協力をどうぞ宜しくお願い致します。



新副支部長挨拶

清水 孝子 (日本文理大学)

 はじめまして。日本文理大学の清水孝子と申します。このたびは、思いがけず、「日本コミュニケーション学会九州支部」の副支部長を引きうけることになりました。とても責任の重い仕事なので、果して皆様のご期待にそえるような仕事が出きるかどうか自信はありませんが、「開かれた」学会活動を目指して、微力ながらも努力していくつもりです。なにとぞよろしくお願いいたします。

 大分では、これまでに2回、日本文理大学(大分市)で支部大会を開催してきました。これまでの学会では、1996年第3回支部大会においては「コミュニケーション教育としての外国語教育」、また2002年第9回支部大会においては「異文化コミュニケーションの原点を探る」をテーマに活発な議論を展開してきました。

 現代の社会的状況を考えてみますと、今後は、明示された(explicit)文化の問題からだけではなく、文化に内在する(implicit)問題からコミュニケーションを考えることの必要性を感じています。自分たちとは異なる文化の対象は、西洋・非西洋、日本人・在日外国人、健常者・障害者、男・女、老・若世代など多岐にわたっています。そのような多様な人たちとのコミュニケーションを考える時、大切なのは少数派または社会の周縁部に生きている人々の視点からのコミュニケーションの問題であるように思います。これからのコミュニケーション研究の中で、研究者自身がどのような位置に立っているのかも確認しながら、多数派からの視点ではないコミュニケーションというものを捉えなおした時に、それぞれの人の「発展」につながるコミュニケーションのありよう様がはじめて見えてくるのではないでしょうか。

 会員の皆様と、2005年の支部大会で再会できることを心から楽しみにしております。



新事務局長挨拶

八尋 春海 (西南女学院大学)

 このたび事務局長に就任した八尋春海(やひろはるみ)と申します。事務局長と言えば、1年前まで、ある自治体の事務局長をしていました。地区の人口は1万3千人でした。そこで海千山千の12人の町内会長を操りながら予算、人事、事務を取り仕切るというもので、つくづく、こんな仕事は私のような者ではなく野心にあふれた政治家志望の人がやるのが良いと実感しました。その2年前には、ある学会の事務局長で、当時は自分が仕事に不慣れだったため、てんてこ舞いでした。このようなわけで、「事務局長」という言葉を聞くと、なんだか、仕事の山(書類の山)が目に浮かびます。しかし今回は開き直って、これまでの自分の経験を活かし、今後誰が事務局長になっても楽なように工夫していきたいと決意しています。

 最近の学会の傾向を見ますと、大学院が次々とできたこともあり、若手の研究者の比率が高まったように思います。私自身は、若手でもベテランでもない、中堅だと認識しております。このようなどっちつかずの中堅にできることは、若手が活躍しやすいように、ベテランの力を引き出すことだと思っています。研究発表の時に時々、ベテランの中に、若手を萎縮させやる気をそぐような発言をする人を見ることがあります(幸いなことに、九州支部のベテランにはそんな人はいません)。このような雰囲気は追い出しましょう。若手が憧れ尊敬する中堅、ベテランになりましょう。大学院生がこぞって入会したくなるような雰囲気の学会にしましょう。

 最後になりましたが、この2年間(先生によってはもっと長く)支部の運営を支えて下さいました運営委員のみなさま、ありがとうございます。ようやく任期は終わりましたが、おそらく、現運営委員がこれからもみなさまのお力をお借りすることがあるかと思います。よろしくお願いいたします。



佐藤前支部長挨拶

退任のご挨拶

佐藤 勇治 (熊本学園大学)

 去る10月10日の第11回CAJ九州支部大会で、支部長職を高瀬文広先生に引継ぎ、4年間にわたる任務を終了しました。在任中は支部役員の皆様はもちろん、支部会員の方々、また本部からも北出前会長をはじめ様々なご支援とご協力をいただき、何とか大過なく職務をまっとうすることができました。この場を借りて心から厚く御礼申し上げます。特に初代支部長でもありました畠山先生には、副支部長と事務局長を兼務していただき、支部運営の主要な業務を支えていただきました。また、高瀬先生には支部ニュースレターの発行の面で、丸山先生には支部紀要の発行の面で、横溝先生にはホームページの開設と運営の面で、また、橋本先生には支部運営全般についてご助言をいただきながらご尽力をいただきました。監査委員として宮下先生、横堀先生にもお世話になりました。また、支部大会の開催のために清水先生と伊佐先生、兼本先生、支部紀要の編集委員として井上先生、宮平先生にも多大なご支援をいただきました。田所先生にはご高齢にもかかわらず、折にふれ研究発表をしていただき、支部活動に大きなエネルギーをいただきました。お世話になりました全ての方々のお名前を列記して御礼申し上げるべきところですが、紙幅の関係もあり一部の方々だけで代表させていただきます。悪しからずご容赦下さい。

 支部長在任中を振り返りますと、新たに達成できた業務として4つの事柄が思い浮かびます。第一に支部紀要を発刊することができたことです。支部として紀要を持つことは、支部会員の研究活動を活性化する大きな原動力になると思いますので、発刊にこぎつけることができましたことは大いなる喜びとなりました。ただ、経費削減の面と現代的必要性への対応ということで、第2号からは電子ジャーナル化しての発行ということになりました。第二に支部ホームページの開設があります。ニュースレターもホームページに掲載することで経費削減になりますし、いつでも、誰でも、どこからでもアクセスできるという利点を生かして、今後の支部活動の発展に大いに貢献するものと思います。第3に支部開設10周年記念大会を、私の勤務する熊本学園大学で開催することができたことです。長崎純心大学で誕生した支部も10年の歳月を経て、基礎作りが終了したことを確認すると共に、今後の発展の方向を考える機会となりました。CAJ創設者の川島先生も来賓としてご臨席いただき、お祝辞を頂戴することができました。第4に支部会則の大幅改定を行うことができました。支部活動の実情を担保し、今後の発展の可能性を含んだ会則にしたいとの思いから見直したものです。

 支部活動には創設の頃から関わらせていただきましたが、これまで支部大会を3回開催し、支部長を4年間勤めさせていただきました。このような経験から、今後の支部の発展の方向を展望してみますと、次の3つのことが課題として思い浮かびます。第一に支部の財務基盤の一層の強化が必要です。支部会費を徴収していない現状では、本部からの補助金、支部大会の参加費、支部大会開催校からの補助金、そして広告収入しか資金源がありません。支部活動の発展のためには将来的には支部会費を徴収することや、広告収入の拡大努力、さらには支部出版企画の実現なども考える必要があるでしょう。第二に支部会員数の拡大があります。支部大会のみならず、各種の講演企画や研究会の開催など多様な支部活動を展開するためにも、会員数をもう少し広げる必要があると思われます。外国語教育に関連したメンバーのみならず、医療関係者や行政関係者、企業関係者など多様なメンバー構成をとることも、コミュニケーション研究の厚みを増すことにつながるでしょう。地域による会員数の偏りをなくす努力も必要です。第三に支部会員のより多くの方が、何らかの形で支部運営に関わることも必要なことと考えます。組織が生き生きとして発展するためには、多様な人が多様な視点で支部活動に関わることが重要です。良い点はもちろん大切に守らなくてはなりませんが、支部会員一人一人が支部活動に能動的に関わっているという意識と具体的参加がより重要だと思います。

 最後に、九州支部の次の発展の10年に向けた支部長交代を、新設の4年生大学として新たなスタートを切られた、沖縄キリスト教学院大学で行うことができましたことは、これから雄々しく発展しようというエネルギーをいただくことができた意味でも、大変喜ばしいことでした。神山学長はじめ学園関係者に改めて御礼申し上げますと共に、新支部長の高瀬先生のもとで今後のCAJ九州支部が益々発展することをお祈りします。



畠山前副支部長挨拶

前途遼遠

畠山 均 (長崎純心大学)

 今年10月10日、日暮れ行く沖縄での第11回九州支部大会の懇親会。その時の乾杯のビールの味はこれまでとは一味も二味も違って感じられました。沖縄キリスト教学院大学の全面的な協力のもとに開催された今年の支部大会は本当に充実した、また心温まる大会であったように思います。懇親会での皆様の談笑風景を見ながら、私は10年前の1994年10月、第1回支部大会が私の勤務校長崎純心大学で開催された時、10年後に沖縄でこのような盛大な支部大会が開催できると誰が想像できただろうか、という思いに駆られました。すくなくとも10年前、私の頭の中にはその後の九州支部をどのように発展させて行こうかという戦略もビジョンも全くありませんでした。この10年間を振り返ると、その時、その時、目の前に存在する一つ一つの課題を解決していく努力をしているうちに10年が経ち、気が付いてみたら九州支部が大きくなっていたというのが実感です。

 私の記憶が確かなら、事の始まりは1993年6月に西南女学院短期大学で開催されたCAJの全国大会であったよう思います。その大会で九州在住の会員の集まりがあり、九州支部を立ち上げようという動きが本格化したように覚えております。そして、翌1994年10月1日、第1回九州支部大会が長崎純心大学で開催され、私はいつの間にか支部長になっていました。以後、支部長として6年、事務局担当の副支部長として4年、微力ながら九州支部の発展のお手伝いをし、毎年の支部大会開催、ニュースレター、大会プロシーディングス、支部紀要の発行、ホームページの開設などこの10年で一応、学会としての体制は整えることができたように思います。このように長期に渡り、自分の能力も省みず、支部の責任者としての役割を果たすことができたのも九州支部立ち上げの発起人橋本満弘先生、前支部長の佐藤勇治先生をはじめ、多くの会員諸氏のご理解とご協力があったからだと思っております。この場を借りて心よりお礼申し上げます。

 さて、一応の基盤ができたとは言え、九州支部は会員の教育・研究活動の相互交流・情報交換の場としては多くの課題を抱えております。しかし、これは逆に申せば九州支部にはまだまだ秘められた発展の可能性が十分にある、という事です。現状に満足することなく、更なる発展を目指して行きましょう。幸い高い学問見識とバイタリティーの持ち主である新支部長高瀬文広先生をはじめ、新しい役員の皆さんは若さとエネルギーに溢れ、幅広い視野と高い志を持った方々です。立ちはだかる難問を解決し、質の高い支部運営をされていくと確信しております。私もこれまでとは違った方向から九州支部発展のために最善を尽くす所存でおります。これからもよろしくお願いいたします。



支部大会報告

CAJ九州支部第11回大会を終えて

伊佐 雅子 (沖縄キリスト教学院大学)

 日本コミュニケーション学会九州支部第11回大会が、10月10日(日)、沖縄キリスト教学院大学で開催され、40人(会員21名、非会員19名)の参加者があり、盛況のうちに終了することができました。
今回の支部大会はCAJ創設以来、沖縄で初めて開催される記念すべき大会であり、また、開催校となった本学が4月より新設4年制大学となってから初めてお引き受けする大会でもありました。従って、本学学長(神山繁實)、学部長(R.スラッシャー)はじめ、沖縄の関係者は期待を込めて大会の盛会を心より祈念しておりました。しかし台風21号が通過するや、10月初旬には台風22号が相次いで発生し、この会は「まぼろしの支部大会」になるのではないかと危惧しておりました。幸いにも、沖縄本島と九州地域は暴風域を抜けました。ところが、大会前日になって、この台風22号が関東地域に上陸したため、空港は閉鎖され、参加を予定されていた先生方は沖縄行きを断念せざるをえないという残念な事態になりました。

 沖縄では大会当日は天気もよく、朝9時半より滞りなく開会式が行なわれ、引き続き2つの分科会に分かれ、研究発表を10時から12時半まで行いました。午後1時20分から「コミュニケーションと国際交流」というテーマで、パネルディスカッションが行われました。今回のこの企画は、大会のメインテーマである「異文化交流とコミュニケーション」に、レトリックの立場から論議する試みでありました。当初予定されていた3名のパネリストのうち、板場良久先生(獨協大学)がご事情により来沖されず、藤巻光浩先生(文教大学)と柿田秀樹先生(獨協大学)、それに司会者の畠山均先生(長崎純心大学)の3名で会議が進められました。柿田先生は古代ギリシャの弁論家・イソクラテスの演説「民族祭典演説」を分析することを通して論を展開され、また、藤巻先生はアメリカにおける近年のリドレス(補償)のあり方を、アルメニア人のアメリカ社会に於ける進展を参照しつつ分析されました。お二人のパネリストの、日頃のレトリック研究における成果を目の当たりに出来たこと、そして、極めて複雑な内容をわかりやすく説明されたプレゼンテーションの手法に感銘を受けました。更に、レトリックの観点から国際交流、異文化交流を分析する意義と、コミュニケーション研究の新たな進展に啓発されました。

 午後3時40分からは、県内在住の著名な歴史学者である高良倉吉氏(琉球大学教授)による特別講演が行われました。先生は沖縄ばかりではなく、全国的にもそのご活躍が認められ、つい最近、国際交流基金の2004年度の「日本研究賞」を受賞されました。講演では「琉球王国におけるコミュニケーション―首里語・辞令書・通事の事例から」のテーマで話されました。

 先生は、これまで難解だと思われていた「琉球史」を、日本と東アジア諸国の歴史的なかかわりの中において、広く捉えなおすことにより、琉球史をより普遍的なものとして位置づけ、素人にも解りやすく、史料を用いてダイナミックに解明されました。琉球王国時代(1429―1879年)は、中国とのさかんな交易によって繁栄を極め、国王は王国内の人々とのコミュニケーションばかりではなく、中国とのコミュニケーションを促進することが重要でした。先生はまず初めに、琉球王国内の言語状況として、政治言語としての首里語の説明をされ、次に首里王府より出された辞令書(職務任命書)の史料的な意味とその文体について解説されました。その後、「漂着列島」におけるコミュニケーション人材の問題について言及され、特に、唐通事職能集団としての久米村人と、現場対応の通事・波照間直達(石垣島)について説明されました。

 沖縄は、本土とは異なる歴史・文化を持っているため、参加者たちは熱心に先生の話に耳を傾けていました。また、沖縄出身の先生方からも、昔の言葉の意味と文脈を知ることができて大変よかった、というコメントをいただきました。最後に活発な質疑応答があり、時間を超過して終了しました。

 夕方6時からは、大学の近くにある「かねひで都パレス」で懇親会を開きました。本学の学長や学部長も参加し、おいしい料理を囲みながら、会員同士の親睦と交流を深めました。今回は役員の改選もあり、長年九州支部の発展にご尽力された佐藤勇冶支部長や畠山均副支部長から、この10年間の思い出や苦労話も聞くことができました。また、新に選出された高瀬文広支部長による九州支部の発展に向けての力強い決意表明があり、なごやかな雰囲気のうちに全日程を終了することができました。

 また、本会の開催を祝って、坂田善種先生(拓殖大学)には特に御銘菓を頂戴致しました。ところが台風の影響により、大会の翌日に配送されたため、皆様にご賞味いただくことができず、それだけが心残りでした。お心使いに感謝申し上げます。

 最後になりましたが、会員の皆様のご協力と地元の書店(「西原球陽堂」様、「丸善」様)のご協力により、大会の全日程を無事に終了することができ、謹んで、ここに関係諸氏に対し、感謝申しあげますとともに、皆様のご健勝とご活躍を祈念申し上げます。



特別講演の内容要約

日本コミュニケーション学会九州支部第11回大会にて

(2004年10月10日)

『琉球王国におけるコミュニケーション―首里語・辞令書・通事の事例から―』

講演者:高良 倉吉氏(琉球大学教授・琉球史)

 本大会の特別講演者である高良倉吉氏は、これまで沖縄県立博物館、浦添市立図書館長等の職を歴任され、豊富なご経験と広範な知識を有するユニークな学者である。県と市の公務員時代から、二足の草鞋を履く人物として夙に知られ、県内私立大学の非常勤講師として、日本史及び琉球史の科目を担当された。学者として公務員として、その能力を遺憾なく発揮され、県内の数々の重要な文化行政事業に携わり、沖縄の世界遺産「首里城」の再建にも精力的にご尽力された。また、NHKの大河ドラマ『琉球の風』でも監修を務められた。ご専門の琉球史はもとより、いまや県内外を初め中国・台湾でも文化に関する分野で衆目を集めており、先日は全国的にそのご活躍が認められ、政府文化部門より特別に表彰された。県内でもこれまで出版・文化部門で多く受賞されている。近年は、全国各地からご講演の依頼も多く、ご多忙な生活だが、そのような中で多くの著書を出版されている。

 高良氏は、これまで難解だと思われていた「琉球史」を、日本と東アジア諸国の歴史的なかかわりの中において広く捉えなおすことにより、琉球史をより普遍的なものとして位置付け、素人にも解りやすく、ダイナミックに解明された。その文体は理路整然として説得力があり、史料の提示にも工夫がこらされ、読み応えがあるため、多くの読者層の心を捉えてやまない。大会当日も幾つかの重要な会議を掛け持ちしておられたようで、ご講演が終了するや、次の会場へと疾風の如く立ち去られた。

以下は高良氏の講演概要である。

「講演概要」

1.新たな琉球史像を求めて
  @ 二つの課題―琉球の組織化、琉球のアジア化 
  A 中世(古琉球)におけるアジア国際語としての中国語(久米村) 
  B 王国内のコミュニケーション手段の問題について

(琉球史を単に日本史の中で検討するだけではなく、組織的に、アジアの歴史の中で比較検討することにより、新たな琉球像が見えてくる。近世の琉球と区別するために、中世の琉球のことを便宜的に「古琉球」と称する。古琉球の時代には、中国明の皇帝と臣下の礼をとり、「2年1貢」の進貢貿易が盛んであった。それは明治維新の琉球併合まで続いた。古琉球の時代に中国福建省より渡来した中国人は、首里王府において外交、学術、文化、芸術その他の役割を果たした。那覇市久米村に在住するようになった中国人は、やがて職能集団を形成した。当時、琉球王国は、日本国内(堺、博多、坊津)をはじめ、朝鮮、中国はもとより、遠くはジャワ、スマトラ、マラッカ、タイ、ビルマ諸国との交易を展開した。それを「琉球の大交易時代」という。交易の際にコミュニケーション手段として使用した言語は、対外的には中国語であった。久米村の中国人が通訳としてその役割を荷ったが、対外的に使用された言語が福建語か、「官話」とよばれる中国皇帝の宮殿内で通用する中国語の共通語であったかは不明。琉球国内でも士族に学校で中国語を教授し、留学生を中国に派遣した。)


2.琉球王国内の言語情況―首里語の形成
  @ 琉球語(琉球方言)をめぐる状況認識(「多様」と「共通」)
  A 政治言語としての首里語の形成とその文章化

「おもろそうし」全22巻、
(琉球方言は日本祖語より派生したが、方言は各島でかなり異なっており、相互のコミュニケーションは困難であるから、それぞれの島に通事をおいて王府との意志疎通を図った。政治言語としての首里語の状況は、現存する「おもろそうし」全22巻、平仮名碑文、石棺銘文、そして辞令書等で観察できる。「おもろそうし」は、思いを歌った日本最古の口承文学の詩歌集である。方言、日本語混じりの難解なものとなっている。国内的には平仮名の日本語表記を使用していた。現存する平仮名碑文、石棺銘文、そして辞令書等で判明する。)


3.古琉球辞令書をめぐって
  @ 辞令書の史料的な意味と残存状況について
  A その文体―平仮名+候文+首里語
  B 内政の文体と外交の文体(中国語、漢文)

(沖縄本島では、戦火により多くの歴史的資料、辞令書が失われた。戦火を免れた奄美大島に、首里王府より出された職務任命書が現存する。ひとりの人の役職が変わるたびに、辞令書が出されている。平仮名書きの候文は、京都の僧侶ら「袋中上人」によって琉球に伝えられた。それ以来、琉球では平仮名の候文の文体が使用された。その辞令書も、平仮名で書かれたものだが、候文の日本語に首里語の方言が混在している。つまり、内政の文体は平仮名の大和風の候文に首里語の方言が混在、外交文書は中国語、漢文を使用していた。年号はいずれも中国式の漢文記載。)史料:1、「おもろそうし」しょりもりくすく またまもりくすく きこえおおきみ きやおりて あすびよばれば かみてだの まぶりよりまたあんしおそい… (平仮名表記の首里語)。2、辞令書「しよりのおみこと」、「奄美のやどん祝女への辞令」、「下地の大首里大屋子宛辞令書」(平仮名候文に首里語混在)、3、「円覚禅寺記」(漢文)、4、「真珠湊碑文」(漢字、平仮名候文、首里語の混在。)


4.「漂着列島」におけるコミュニケーション人材の問題
  @ 唐通事職能集団としての久米村人
  A 現場対応の人材状況―石垣島の波照間直達(1746〜1796)の場合

(海に囲まれた島国「琉球」は、海外からの漂着民が多かった。漂着難民は、中国人、朝鮮人が多かったので、那覇に移送されて事情聴取された。多くの場合は、唐通事職能集団としての久米村人が通訳にあたった。しかし、石垣島に漂着する場合もある。その際には現場対応の通訳者が必要だが、その養成は王府によって組織的に実施されたのではなく、個人的な力量に任されていた。波照間直達(1746〜1796)の場合、その父親は、中国で中国語を学んだ。しかし直達が7歳のとき、父は中国に漂着して溺死した。彼は個人的に14歳のとき、まず勤学・普久嶺通事親雲上に、さらに18歳のとき、総官・小渡里之子親雲上より官話(中国宮廷での共通語)を学ぶ。23歳のとき、漂着した唐人に学んだ。24歳のとき、泊村で漂着唐人より中国語を学ぶ。27歳に、異国通事役に任命され、その年、久高通事親雲に中国語を学ぶ。その後、33歳で、中国語を学ぶために久米村に行った。40歳のとき、唐人漂着につき通事として活躍した。50歳で、公物宰領のため、石垣より那覇に行き、帰帆のさいに唐に漂着して病気により死去した。彼は25歳で地方の役人として下級職に任官し、後に波照間首里大屋子の職に昇進した。)


5.むすび―琉球における中国語・日本語・首里語をめぐる今後の研究課題

(今後の課題として、中国語、日本語、首里語をめぐり、相互の学習状況、学校制度、習熟度等についても検討を加える必要がある。最後に活発な質疑応答があった。)当時の琉球には、外国から多くの船籍が来航した。<英、仏、独、米、蘭、露等の船籍の来航が文献より散見される。英仏戦争で勝利を収めた英国船が多い。>参加者の中に、琉大名誉教授照屋善彦氏がおられた。<照屋氏の英語による博士論文は、英宣教師として9年間琉球に滞在したベッテルハイムに関する研究である。ベッテルハイムは医学にも精通していたが、琉球での布教活動は国禁であり、薩摩の監視の下、困難であったといわれる。島津斉彬は琉球を仲介しての、仏、蘭との交易を目論んでいた。>照屋氏によると、この時代には、琉球では中国語通訳者であったものが、英語を学んで通訳者として海外との交流の役割を果たした。彼らの英語も独学だった。<中国語通訳者は北京で進貢貿易を行なう際に、世界各国の人と知り合うチャンスがある。例えば、露国人とも。>牧志朝忠は中国語以外に<与世山親方より>英語を学び、英宣教医師ベッテルハイムの通訳として、また米ペリー来航の際にも、仏船来航の際にも通訳者として活躍したと、説明された。)
 
参考;高良倉吉『琉球王国』(1993年、岩波新書)、高良『アジアのなかの琉球王国』(1998年、吉川弘文館)、高良「近世八重山の唐通事に関する事例」(1999年、『第7回中琉歴史関係国際学術会議論文集』、中琉文化経済協会、台北)

講演内容要約担当:児玉 啓子(沖縄大学教授)
< >内は、要約者が文言を補充した。



新支部役員紹介

支部長 高瀬 文広

 今回の支部役員は下記の通りです。横溝先生と横堀先生、そして高瀬以外は皆さん初めての支部役員となっております。任期は二年です。どうぞ宜しくご支援をお願いします。

 尚、次回の役員改選で支部役員としてご貢献されたい方がおられれば遠慮なくお申し出下さい。私たち役員は、皆様と一心同体の支部運営を行っていきたいと考えております。

新CAJ九州支部役員(2004年10月〜2006年9月)

1. 支部長:    高瀬 文広 (福岡市立福岡女子高等学校)

2. 副支部長:  清水 孝子 (日本文理大学)

3. 事務局長:  八尋 春海 (西南女学院大学)

4. 運営委員:
     (ア)総務担当:  與古光 宏 (九州産業大学)   
     (イ)HP担当:   横溝 彰彦 (久留米大学)
     (ウ)NL担当:    野中 昭彦 (福岡大学)    
     (エ)紀要担当:  吉武 正樹 (福岡教育大学)

5. 会計監査委員:     西原 真弓 (活水女子大学)
                  横堀 仁志 (南九州短期大学)



支部会員紹介

(敬称略&順不同)

野中 昭彦 (福岡大学)

 この度、CAJ九州支部ニューズレターの編集を担当させていただくこととなりました野中昭彦です。 私がCAJに入会しまして早7年。いつの間にかこのような責任ある仕事を任されるようになりました。まだ右も左も分からないような状態ですが、最新のCAJの情報を皆様にお伝えすべく頑張りたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。



與古光 宏(九州産業大学)

 皆さん、初めまして。與古光 宏(よこみつ・ひろし)と申します。この度、CAJ九州支部における。総務担当の運営委員役を拝命いたしました。新支部長の高瀬先生とは、大学院での同期生(先生が、栄えある社会人院生・第一号でした)というご縁があり、今回の新支部役員の一人にお誘い頂いたという次第です。私は、この3月末まで長崎県佐世保市の長崎短期大学にて、3年間の任期を無事に全うした後、福岡市に拠点を戻しまして、現在は九州産業大学・九州国際大学にて、教鞭を執っております。就職してからは、大学院時代に専攻した対人コミュニケーションから、英語教育の方へ比重が移って来ましたが、今回の役員拝命を機に、両者をバランス良く保って行きたいと考えております。どうぞよろしくお願いいたします。



吉武 正樹(福岡教育大学)


 紀要担当の吉武正樹です。研究者の一人として、近年の学界における研究動向には、人間の問題を技術の問題にすりかえているのではないか、という懸念を持ちます。例えば、社会的行為が物理的な運動に、文脈に生きる意味が無味乾燥な一般的意味に置換されている。読んだ後に、実存、社会的存在、また地球人として、コミュニケーションについて「より深く考える」きっかけとなる紀要を理想とし、邁進していきたいと思っています。


                                                             以上